青年が記憶を取り戻してから二日。青年自身はなるべくその事を隠せていると思っているようだが、アリスは薄々分かっていた。他の人は分からないだろう、青年がアリスを見る目が僅かに変わっていた事を。若干の恐怖、おそらく青年すらそれは意識していなかったと思うが、見られる側のアリスはそれを痛切に感じていた。
「今日は僕が片付けるよ」
青年が率先して晩御飯の食器を片付ける。その姿もアリスにはどこかよそよそしかった。食器を洗う青年の背中をボーっと眺めていると、初めて言葉を交わしたときの事を思い出す。
「今日は僕が片付けるよ」
青年が率先して晩御飯の食器を片付ける。その姿もアリスにはどこかよそよそしかった。食器を洗う青年の背中をボーっと眺めていると、初めて言葉を交わしたときの事を思い出す。
人間から魔法使いという種族になったアリスにとっては人間からも妖怪からも複雑な感情を持って見られていた。排他的な視線に苛まれ、アリスは自分の立場を確立する事が出来なかった。魔法の森という辺鄙な場所に住んでいるのも自分自身を他人から遠ざける為でもあった。
そんなアリスが青年と初めて言葉を交わした時、アリスは久しぶりに純粋な視線を感じた。もちろんその理由はすぐに分かったのだが、そんな事はどうでもよ かった。ただ自分をまっすぐに見てくれる、それだけでアリスは嬉しかった。だから青年の前ではアリスはいつも以上に頑張った、自分を良く見せようとした。
「ふぅ、終わったよ」
青年との生活は楽しかった。むしろ楽しいというよりは新鮮だったのかもしれない。最初は青年の身元などを気にしていたが、それすらどうでも良くなっていた。一緒に居たいというはっきりした気持ちではなかったにせよ、それに似た事をアリスはずっと思っていた。
「……一つ、訊いてもいい?」
しかし、そんな夢はいつかは終わる。終わらせる事はとても辛いけれど、今の青年の姿を見る方がアリスにとっては辛かった。自分をまっすぐ見てくれていた人に、せめて自分から別れを。アリスは青年に訊いた。
「記憶、戻ったんでしょ?」
「っ!?」
青年が驚いた表情をした。アリスは自分の予想が外れていたら、とずっと願っていたがそれも叶わぬ夢だった。青年の方は、何故ばれたのか不思議で仕方が無いといった感じだった。
「貴方、わかりやすいもの。バレバレよ」
最後まで青年の前では弱みを見せない、それがアリスの最後の足掻きだった。近いうちに青年が目の前から消える事もなんとなく分かっていたので、その時まで青年の前では胸を張って堂々としていようと思っていた。
だが、声が若干震えてしまう。今の関係を無に帰す事が、アリスにとっては耐え難いことになっていた。
「そっか……バレちゃったか」
青年は全てを諦めた様子だった。床に目線を落とす、その表情はアリスが今まで見てきた表情の中でも最も悲痛だった。
「いつ、戻ったの?」
「二日前、水を汲みに森に行った時……女性に会ったんだ」
「女性?」
「金髪で、派手な服装だったよ。記憶を思い出させてくれたけど、三日後に僕を外の世界に連れて行くって……」
金髪で派手な服装という単語から、アリスの頭には該当者が浮かんだ。確かにその妖怪ならば青年の記憶を操る事が出来る。それよりも、アリスは青年の言った三日後と言う言葉にひどく驚いた。
「ま、待って! 三日後って言ったら、明日じゃない!」
青年は俯いて、ただうん、とだけ言った。
「そんな……その時まで、貴方は何も言わないつもりだったの!?」
アリスは青年に歩み寄った。青年の方が身長が高いため、自然と見上げる形になる。近くで見た青年の顔は、今にも泣き出しそうだった。
「だから、今日の夜に僕はこの家を出ようと思っていたんだ」
「私に何も言わずに?」
「うん、本当にすまないと思ってる。もっとアリスと一緒に居たかったし、僕も外の世界なんて興味がない。ただ、過去の記憶だけ欲しかったんだ」
「そんなの……ずるいわ!」
「そうだね、こんな虫の良い話なんて在るはずがない。だから、僕は最後まで隠し通していなくなる予定だったんだけど……それも虫が良い話だったね」
アリスは青年の服を掴んでいた。それは自分では意識していなかったのだが。
「結局、私はまた一人ぼっちになるの?」
「え―――?」
最後まで強い姿でいようとしたアリスの姿はそこには無かった。そこにいたのは、常に独りで、寂しさを紛らわし、それでいて誰よりも温かさに飢えていた魔法使いの姿だった。
「私には親もいないし、友達もいない。人間からも、妖怪からもまっすぐに見てもらえない存在よ。私自身それでいいと思ってた、でも、貴方はそんな私をまっすぐ見てくれた」
青年は、アリスの目を覗き込みながら話を聞いていた。
「それがどんなに嬉しかったか……貴方に分かる!? 私は、凄く嬉しかった。たとえ貴方がどんな過去を持っていても、貴方が私をまっすぐに見てくれるだけで良かった」
「アリス……」
「記憶を取り戻した貴方は、そこらの人間と同じ。異種である私に対して恐怖を帯びた目で見ていた。でも、私にとってはもうそんな事もどうでもよかった、貴方が居てくれるだけで、私は満足なの」
アリスは青年の背中に腕を回した。その手でしっかりと抱きしめ、青年の胸に顔を埋めてアリスは囁いた。
「何処にも行かないで……」
顔が見えなくても、青年にはアリスが泣いている事がわかっていた。自然と青年の腕もアリスを抱きしめる。何も考えず、青年はポツリ、と言った。
「今夜はずっと一緒に居よう。いや、僕がアリスと居たいんだ」
窓越しに見える空には、満月が輝いていた。
そんなアリスが青年と初めて言葉を交わした時、アリスは久しぶりに純粋な視線を感じた。もちろんその理由はすぐに分かったのだが、そんな事はどうでもよ かった。ただ自分をまっすぐに見てくれる、それだけでアリスは嬉しかった。だから青年の前ではアリスはいつも以上に頑張った、自分を良く見せようとした。
「ふぅ、終わったよ」
青年との生活は楽しかった。むしろ楽しいというよりは新鮮だったのかもしれない。最初は青年の身元などを気にしていたが、それすらどうでも良くなっていた。一緒に居たいというはっきりした気持ちではなかったにせよ、それに似た事をアリスはずっと思っていた。
「……一つ、訊いてもいい?」
しかし、そんな夢はいつかは終わる。終わらせる事はとても辛いけれど、今の青年の姿を見る方がアリスにとっては辛かった。自分をまっすぐ見てくれていた人に、せめて自分から別れを。アリスは青年に訊いた。
「記憶、戻ったんでしょ?」
「っ!?」
青年が驚いた表情をした。アリスは自分の予想が外れていたら、とずっと願っていたがそれも叶わぬ夢だった。青年の方は、何故ばれたのか不思議で仕方が無いといった感じだった。
「貴方、わかりやすいもの。バレバレよ」
最後まで青年の前では弱みを見せない、それがアリスの最後の足掻きだった。近いうちに青年が目の前から消える事もなんとなく分かっていたので、その時まで青年の前では胸を張って堂々としていようと思っていた。
だが、声が若干震えてしまう。今の関係を無に帰す事が、アリスにとっては耐え難いことになっていた。
「そっか……バレちゃったか」
青年は全てを諦めた様子だった。床に目線を落とす、その表情はアリスが今まで見てきた表情の中でも最も悲痛だった。
「いつ、戻ったの?」
「二日前、水を汲みに森に行った時……女性に会ったんだ」
「女性?」
「金髪で、派手な服装だったよ。記憶を思い出させてくれたけど、三日後に僕を外の世界に連れて行くって……」
金髪で派手な服装という単語から、アリスの頭には該当者が浮かんだ。確かにその妖怪ならば青年の記憶を操る事が出来る。それよりも、アリスは青年の言った三日後と言う言葉にひどく驚いた。
「ま、待って! 三日後って言ったら、明日じゃない!」
青年は俯いて、ただうん、とだけ言った。
「そんな……その時まで、貴方は何も言わないつもりだったの!?」
アリスは青年に歩み寄った。青年の方が身長が高いため、自然と見上げる形になる。近くで見た青年の顔は、今にも泣き出しそうだった。
「だから、今日の夜に僕はこの家を出ようと思っていたんだ」
「私に何も言わずに?」
「うん、本当にすまないと思ってる。もっとアリスと一緒に居たかったし、僕も外の世界なんて興味がない。ただ、過去の記憶だけ欲しかったんだ」
「そんなの……ずるいわ!」
「そうだね、こんな虫の良い話なんて在るはずがない。だから、僕は最後まで隠し通していなくなる予定だったんだけど……それも虫が良い話だったね」
アリスは青年の服を掴んでいた。それは自分では意識していなかったのだが。
「結局、私はまた一人ぼっちになるの?」
「え―――?」
最後まで強い姿でいようとしたアリスの姿はそこには無かった。そこにいたのは、常に独りで、寂しさを紛らわし、それでいて誰よりも温かさに飢えていた魔法使いの姿だった。
「私には親もいないし、友達もいない。人間からも、妖怪からもまっすぐに見てもらえない存在よ。私自身それでいいと思ってた、でも、貴方はそんな私をまっすぐ見てくれた」
青年は、アリスの目を覗き込みながら話を聞いていた。
「それがどんなに嬉しかったか……貴方に分かる!? 私は、凄く嬉しかった。たとえ貴方がどんな過去を持っていても、貴方が私をまっすぐに見てくれるだけで良かった」
「アリス……」
「記憶を取り戻した貴方は、そこらの人間と同じ。異種である私に対して恐怖を帯びた目で見ていた。でも、私にとってはもうそんな事もどうでもよかった、貴方が居てくれるだけで、私は満足なの」
アリスは青年の背中に腕を回した。その手でしっかりと抱きしめ、青年の胸に顔を埋めてアリスは囁いた。
「何処にも行かないで……」
顔が見えなくても、青年にはアリスが泣いている事がわかっていた。自然と青年の腕もアリスを抱きしめる。何も考えず、青年はポツリ、と言った。
「今夜はずっと一緒に居よう。いや、僕がアリスと居たいんだ」
窓越しに見える空には、満月が輝いていた。
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