平和な時の幻想郷には、どんな些細な事でもそれは大事になるわけで。
記憶を失った青年がアリスに保護されているという話は、瞬く間に幻想郷中に伝わり知れるところとなった。
「……なるほど、その時の彼の様子はどんな感じでしたか?」
「様子って言っても、ただ気を失っていただけだし、特に傷らしきものも見当たらなかったわ」
「こんな魔法の森に無傷で気を失って倒れていたわけですか、これは何か事件の匂いがしますね」
「さぁ。私はそんな事に興味はないわ、調べたいなら勝手にどうぞ」
「そうさせて頂きます。取材に協力していただきありがとうございました」
記憶を失った青年がアリスに保護されているという話は、瞬く間に幻想郷中に伝わり知れるところとなった。
「……なるほど、その時の彼の様子はどんな感じでしたか?」
「様子って言っても、ただ気を失っていただけだし、特に傷らしきものも見当たらなかったわ」
「こんな魔法の森に無傷で気を失って倒れていたわけですか、これは何か事件の匂いがしますね」
「さぁ。私はそんな事に興味はないわ、調べたいなら勝手にどうぞ」
「そうさせて頂きます。取材に協力していただきありがとうございました」
そんなわけで今日もアリスの家に一人の鴉天狗が尋ねてきていた。鴉天狗は根掘り葉掘りその事を訊き、一人で満足して帰って行った。
「今日もお客さん?」
自分の事が話題になっているのをを知ってかしらずか、ようやく一人になったアリスの元に青年が顔を見せる。ちなみにアリスは青年がちょっとした話題になっ ている事を本人には言ってない。言わなくても気付くだろうと思っていたからだ。それに、なんだかそういうのを本人に言うのはアリス自身が嫌だったから。
「えぇ、そうよ」
「アリスは顔が広いんだなぁ。色んな人が来てるみたいだけど」
「さて、どうかしら」
事実アリスの交友関係は決して広くない。こうして客がひっきりなしに来るのも青年のおかげであるわけで。
一昨日は人間の巫女と魔法使いがやってきた。この時は一応友人という扱いで青年にこの二人を紹介した。巫女も魔法使いも森の道具屋より良い人に見えると言っていた。
昨日は吸血鬼とそのメイドがやってきた。流石に吸血鬼を青年に会わせる訳にも行かないので、外にいた青年を覗かせる程度に留めておいた。吸血鬼はもっと面 白い事を期待しているようだったが、思いのほかつまらなかったらしくメイドに愚痴のような不満のような事を言いながら帰って行った。
そして今日は鴉天狗である。鴉天狗は幻想郷中に新聞を作ってばら撒いているので、青年の事を記事にしてさらに広められるのは必死だろうとアリスは思っていた。正直な所、これ以上話を広められるのはアリスとしては勘弁だった。
「人が来過ぎるのもこまりものね」
そう思わず呟いてしまう。普段そこまで人と接する機会がなかったアリスなので、あまり一気に大勢の人間に会うとそれだけで疲れてしまっていた。青年とも初めのうちは常にどこかしら緊張しているところがあったが、今では逆に青年と話すことでリラックスにもなっていた。
「誰も来ないよりはマシじゃないかな?」
「貴方がいつもいるじゃない」
皮肉のようであるが、これは真実。青年と共にいる事で、アリスは二つの感情を認識するようになった。一つは誰かと一緒に居る事の楽しさ。そしてもう一つは……寂しさ。
青年にはたまに外で作業をしてもらう事があるが、それだけでアリスは寂しさを感じていた。家の中には独りだけ、今までずっとそうだったのに今ではそれが逆に変に感じる。本来いるところに誰もいない、そんな何かが足りないような寂しさを感じるようになった。
「僕? まぁそうかもね」
「かも、じゃなくってそうなの」
青年の方も記憶を取り戻すのではなく、この世界の生活に慣れる様に努力し始めていた。アリスに無理を言うのではなく、アリスを自分が支えるように、そんな 考えを持ち始めるようになった。無論この事はアリスには言っていない。こんな事を言った途端に怒られるような気がしたからだ。
「じゃあそういう事にしておくよ」
「ええ、だってその通りなんだもの」
二人は互いに笑いあった。
その後青年はアリスに言われて森の奥の泉まで水を汲みに行く事になった。泉へは何回か行っていたのでもうアリス無しでも行ける様になった。家にアリスを残し、青年は一人森の奥に向かった。
「しかし薄気味悪いなぁ……」
アリスの前では言わないが、青年はやはりこの森はあまり得意ではなかった。日光が差さないこの森は湿気が多く、人間には好まれない土地である事は確かだっ た。それでもアリスの家がこの森にある以上、青年は我慢していた。アリスの家以外に青年には行くところなんてなかったのだから。
泉に近づいてきた時、不意にそれは聞こえた。
「ちょいとそこ行く殿方、お時間よろしいかしら?」
「!」
青年は思わず後ろを振り返る。誰もいない事を確認して、前に向きなおすと……そこには一人の女性が立っていた。女性は人間のように見えるが、そこから発せられる雰囲気は明らかに人間を逸脱していた。青年は目を見開いたまま、動く事さえ出来なかった。
「貴方は……誰です」
少しばかりの敵意を込めて、目の前の女性に問いかける。女性の方はくすりと怪しい笑みを浮かべていた。
「人に名前を訊く時は、まずは自分から……って貴方は記憶がなかったのよね、ゴメンなさい」
「どうしてそれを……?」
記憶を辿っても、アリスの家にこのような女性が来た事はなかった。だとすればアリスの家に着た誰かから聞いたのだろうか、青年は頭をフル回転させる。
「まぁそんな事は置いておいて」
女性は自分のペースのままに会話を進める。
「貴方は、この世界にいるべき存在ではない」
唐突に、だが何も飾らず女性はそう青年に告げた。青年はいきなり言われた事を理解するのに少々時間がかかったが、女性の方に面と向かって言い返した。
「だけど、現に僕はここにいる」
「それは、間接的に私が連れてきたからよ」
「貴方が? 何故、どうやって?」
「どうやってかは簡単に答えられるわ。貴方の存在と非存在の境界を弄ったのよ」
青年は女性の言っている意味が分からなかったが黙って言う事を聞いていた。
「何故か、これは少し時間がかかるかもしれないわよ。いいかしら?」
少し考えて、青年は首を縦に振った。女性はそれを確認し、ゆっくりと話し始めた。
「結論から言うと、貴方を連れてきたのはたまたまなんだけどね。貴方は外の世界に絶望していたのよ、そして外の世界も貴方をそこまで必要としていなかった。そんな貴方をたまたま私が見つけて、試しに連れて来たのよ。どう、幻想郷の居心地は?」
「な、なんですか外の世界って……?」
「貴方達から見たらいわゆる常識の世界よ。そしてネタをばらしちゃうけどね、こちらの世界は貴方達からしたら非常識の世界になるの」
「?」
青年はまだ女性の言っている事を理解できずにいた。女性はなぞなぞを出すように青年に話を続ける。
「魔法、見たでしょう?」
「えぇ」
「外の世界には魔法なんてないわ、あるのは科学だけ。だからこそこちらの世界には魔法が蔓延しているの。貴方は本来あちら側の人間、この世界にいるべきではないって事よ」
最初の言葉をもう一度繰り返す女性。青年は抑えきれずに言った。
「じゃあ僕の過去を知っているんですか!?」
「残念ながらそこまでは知らないわ。ただ外の世界で見た時の貴方は存在があまりに希薄だったから、選んだだけよ」
この人なら。一抹の希望が青年に宿った。アリスの顔がふと頭によぎるが、青年は首を振ってそれを消し去った。
「記憶を思い出させる事は?」
「それは可能。だけど……」
女性は一気には言わず、一拍おいてから再び話を切り出した。
「多分、辛い記憶だわ。それを知ったら貴方は近い内に外の世界に戻る事になるでしょう、それでもいいの?」
まだ、選択の余地がある。女性はそう言っている様なものだった。
この世界に留まるか、元いた世界に帰るか。青年は暫く考えた後、一つの結論を出した。そしてそれと同時に心の中でアリスに謝った。
「僕は、僕の過去を知りたい……だけど、今すぐに帰る事は出来ない」
頑なな意思の表情に、女性はしょうがないわねとため息をつきつつ、青年に提案をした。
「……わかったわ。じゃあ、こうしましょう。記憶は今の時点で思い出させてあげるけど、外の世界に帰すのは三日後、どうかしら?」
三日間という猶予を設けた条件を青年は飲んだ、すなわち三日後にこの世界から消える決心をしたのだった。
「では……」
女性が空中に指で切る動作をした。そしてパチン、と指を鳴らす。
「!」
青年にとっての常識の世界は、この瞬間に非常識の世界へと変わったのだった。
「今日もお客さん?」
自分の事が話題になっているのをを知ってかしらずか、ようやく一人になったアリスの元に青年が顔を見せる。ちなみにアリスは青年がちょっとした話題になっ ている事を本人には言ってない。言わなくても気付くだろうと思っていたからだ。それに、なんだかそういうのを本人に言うのはアリス自身が嫌だったから。
「えぇ、そうよ」
「アリスは顔が広いんだなぁ。色んな人が来てるみたいだけど」
「さて、どうかしら」
事実アリスの交友関係は決して広くない。こうして客がひっきりなしに来るのも青年のおかげであるわけで。
一昨日は人間の巫女と魔法使いがやってきた。この時は一応友人という扱いで青年にこの二人を紹介した。巫女も魔法使いも森の道具屋より良い人に見えると言っていた。
昨日は吸血鬼とそのメイドがやってきた。流石に吸血鬼を青年に会わせる訳にも行かないので、外にいた青年を覗かせる程度に留めておいた。吸血鬼はもっと面 白い事を期待しているようだったが、思いのほかつまらなかったらしくメイドに愚痴のような不満のような事を言いながら帰って行った。
そして今日は鴉天狗である。鴉天狗は幻想郷中に新聞を作ってばら撒いているので、青年の事を記事にしてさらに広められるのは必死だろうとアリスは思っていた。正直な所、これ以上話を広められるのはアリスとしては勘弁だった。
「人が来過ぎるのもこまりものね」
そう思わず呟いてしまう。普段そこまで人と接する機会がなかったアリスなので、あまり一気に大勢の人間に会うとそれだけで疲れてしまっていた。青年とも初めのうちは常にどこかしら緊張しているところがあったが、今では逆に青年と話すことでリラックスにもなっていた。
「誰も来ないよりはマシじゃないかな?」
「貴方がいつもいるじゃない」
皮肉のようであるが、これは真実。青年と共にいる事で、アリスは二つの感情を認識するようになった。一つは誰かと一緒に居る事の楽しさ。そしてもう一つは……寂しさ。
青年にはたまに外で作業をしてもらう事があるが、それだけでアリスは寂しさを感じていた。家の中には独りだけ、今までずっとそうだったのに今ではそれが逆に変に感じる。本来いるところに誰もいない、そんな何かが足りないような寂しさを感じるようになった。
「僕? まぁそうかもね」
「かも、じゃなくってそうなの」
青年の方も記憶を取り戻すのではなく、この世界の生活に慣れる様に努力し始めていた。アリスに無理を言うのではなく、アリスを自分が支えるように、そんな 考えを持ち始めるようになった。無論この事はアリスには言っていない。こんな事を言った途端に怒られるような気がしたからだ。
「じゃあそういう事にしておくよ」
「ええ、だってその通りなんだもの」
二人は互いに笑いあった。
その後青年はアリスに言われて森の奥の泉まで水を汲みに行く事になった。泉へは何回か行っていたのでもうアリス無しでも行ける様になった。家にアリスを残し、青年は一人森の奥に向かった。
「しかし薄気味悪いなぁ……」
アリスの前では言わないが、青年はやはりこの森はあまり得意ではなかった。日光が差さないこの森は湿気が多く、人間には好まれない土地である事は確かだっ た。それでもアリスの家がこの森にある以上、青年は我慢していた。アリスの家以外に青年には行くところなんてなかったのだから。
泉に近づいてきた時、不意にそれは聞こえた。
「ちょいとそこ行く殿方、お時間よろしいかしら?」
「!」
青年は思わず後ろを振り返る。誰もいない事を確認して、前に向きなおすと……そこには一人の女性が立っていた。女性は人間のように見えるが、そこから発せられる雰囲気は明らかに人間を逸脱していた。青年は目を見開いたまま、動く事さえ出来なかった。
「貴方は……誰です」
少しばかりの敵意を込めて、目の前の女性に問いかける。女性の方はくすりと怪しい笑みを浮かべていた。
「人に名前を訊く時は、まずは自分から……って貴方は記憶がなかったのよね、ゴメンなさい」
「どうしてそれを……?」
記憶を辿っても、アリスの家にこのような女性が来た事はなかった。だとすればアリスの家に着た誰かから聞いたのだろうか、青年は頭をフル回転させる。
「まぁそんな事は置いておいて」
女性は自分のペースのままに会話を進める。
「貴方は、この世界にいるべき存在ではない」
唐突に、だが何も飾らず女性はそう青年に告げた。青年はいきなり言われた事を理解するのに少々時間がかかったが、女性の方に面と向かって言い返した。
「だけど、現に僕はここにいる」
「それは、間接的に私が連れてきたからよ」
「貴方が? 何故、どうやって?」
「どうやってかは簡単に答えられるわ。貴方の存在と非存在の境界を弄ったのよ」
青年は女性の言っている意味が分からなかったが黙って言う事を聞いていた。
「何故か、これは少し時間がかかるかもしれないわよ。いいかしら?」
少し考えて、青年は首を縦に振った。女性はそれを確認し、ゆっくりと話し始めた。
「結論から言うと、貴方を連れてきたのはたまたまなんだけどね。貴方は外の世界に絶望していたのよ、そして外の世界も貴方をそこまで必要としていなかった。そんな貴方をたまたま私が見つけて、試しに連れて来たのよ。どう、幻想郷の居心地は?」
「な、なんですか外の世界って……?」
「貴方達から見たらいわゆる常識の世界よ。そしてネタをばらしちゃうけどね、こちらの世界は貴方達からしたら非常識の世界になるの」
「?」
青年はまだ女性の言っている事を理解できずにいた。女性はなぞなぞを出すように青年に話を続ける。
「魔法、見たでしょう?」
「えぇ」
「外の世界には魔法なんてないわ、あるのは科学だけ。だからこそこちらの世界には魔法が蔓延しているの。貴方は本来あちら側の人間、この世界にいるべきではないって事よ」
最初の言葉をもう一度繰り返す女性。青年は抑えきれずに言った。
「じゃあ僕の過去を知っているんですか!?」
「残念ながらそこまでは知らないわ。ただ外の世界で見た時の貴方は存在があまりに希薄だったから、選んだだけよ」
この人なら。一抹の希望が青年に宿った。アリスの顔がふと頭によぎるが、青年は首を振ってそれを消し去った。
「記憶を思い出させる事は?」
「それは可能。だけど……」
女性は一気には言わず、一拍おいてから再び話を切り出した。
「多分、辛い記憶だわ。それを知ったら貴方は近い内に外の世界に戻る事になるでしょう、それでもいいの?」
まだ、選択の余地がある。女性はそう言っている様なものだった。
この世界に留まるか、元いた世界に帰るか。青年は暫く考えた後、一つの結論を出した。そしてそれと同時に心の中でアリスに謝った。
「僕は、僕の過去を知りたい……だけど、今すぐに帰る事は出来ない」
頑なな意思の表情に、女性はしょうがないわねとため息をつきつつ、青年に提案をした。
「……わかったわ。じゃあ、こうしましょう。記憶は今の時点で思い出させてあげるけど、外の世界に帰すのは三日後、どうかしら?」
三日間という猶予を設けた条件を青年は飲んだ、すなわち三日後にこの世界から消える決心をしたのだった。
「では……」
女性が空中に指で切る動作をした。そしてパチン、と指を鳴らす。
「!」
青年にとっての常識の世界は、この瞬間に非常識の世界へと変わったのだった。
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