魔法の森の中に、西洋風の屋敷が一軒。それこそが七色の人形遣いの住処だった。そんな大層な肩書きを持ってはいるが……実際のところ、見た目は普通の少女だ。ただ違うとすれば、彼女は『人間』ではなく『魔法使い』であるということ。
「……ふぅ」
夜が更ける。魔法の森に棲む生物はこの時間から本格的な活動を始める。ただ、それは妖怪だけであって、魔法使いであるアリスは別にそんなことはない。今日だって、朝からちゃんと起きて昼まで人形を作り、昼休みを取ったあと再びまた人形を作っていたのだから。人形を作ること、人形を操る魔法を修行すること、その二つをアリスは日々こなしていた。いや、むしろそれしかしていなかったかもしれない。
「……ふぅ」
夜が更ける。魔法の森に棲む生物はこの時間から本格的な活動を始める。ただ、それは妖怪だけであって、魔法使いであるアリスは別にそんなことはない。今日だって、朝からちゃんと起きて昼まで人形を作り、昼休みを取ったあと再びまた人形を作っていたのだから。人形を作ること、人形を操る魔法を修行すること、その二つをアリスは日々こなしていた。いや、むしろそれしかしていなかったかもしれない。
確かにたまに外に出ることもある、神社の巫女と話したり、里に買い物に行ったりもする。しかし彼女は自分の時間の大半を、一人、魔法の為に費やしていた。それで良いと思っていた、そう、この時までは。
ドサッ
人形を作る手が、ぴた、と止まる。確かに今、外で何か音がした。それは風のざわめきや、獣の鳴き声といった自然なものではなく、不自然な音。不協和音。
別に無視しても良かった。普段ならば絶対に無視していた。だが、その時アリスは何を思ったか席を立ち、外に音の正体を確かめに行った。もしも世の中に運命が存在するならば、この時のアリスの行動はきっと運命だったのかもしれない。
「え……人間!?」
外に出たアリスは我が目を疑った。だって、音がした方に行くと、そこには人間が一人倒れていたのだから。男性で、髪は黒く、長身痩躯。服は見たことのない服を着ていた。和服には見えないが、自分らが着ている洋服より随分そっけない感じの服。見た目は決して高齢には見えず、香霖堂の店主と同じくらいに見えた。つまり、自分よりちょっと年上。顔は……とても、優しそうだった。
「ど、どうしよう」
正直アリスは困った。素性の知らない人間、いや、人間のフリをした妖怪かもしれないこの生き物をどうすればよいのか。まだ起きていれば話が出来る、しかし相手は意識を失っているのか眼を覚ます気配すらなかった。
アリスは迷った。しかしそれでも家の前で倒れている姿を見てそのまま放置しておくことも出来ず、結局青年を自分の家の中まで運んだ。アリスの部屋は一人で住むのには大きすぎるくらいで、ちょうど空き部屋が一つあった為、そこに青年を寝かせ、毛布を掛けてあげた。
部屋から出るときアリスはもう一度顔を見た。青年の顔は目を閉じていても分かる程の優しそうな顔だった。
「う、ううん……」
朝日が窓に入り込む。アリスは眠たげに眼をこすりながら起きた。少しの間ボーっとしていたが、昨日の夜の事を思い出すと真っ先に男を運び込んだ部屋に向かった。
「あ……」
青年は既に起きていた。窓から外を眺める姿に、アリスは一瞬声を失った。何故、そこまでなってしまったのかアリス自身は理解できなかった。背後に気配を感じて振り向いた青年は少し驚いた様子だったが、アリスに向かって微笑みながら言った。
「君が助けてくれたのかい?」
アリスは異性からこんな風に話し掛けられたことが無かった為、初めは口をパクパクさせることしか出来なかった。そのうちに落ち着きを取り戻すと、伏し目がちに答えた。
「え、えぇ、そうよ」
それを聞いた青年は屈託の無い笑みを浮かべて
「ありがとう、助かったよ」
とアリスに感謝の礼を言った。その笑顔がアリスの胸を高鳴らせ、体を熱くさせた。アリスは自分でもどうしてこんなに慌ててるのか分からず、
「と、とにかくどこか傷は無い? 大丈夫? というか、貴方は一体誰? どこから来たの?」
等など足早に質問をした。質問を受けた青年は、どれから答えていいか分からずに頭を掻いた。
「えぇと……どれから答えればいいのかな?」
大量の質問を投げかけたあと、アリスは己の失態に気づいた。顔が一気に赤くなる。青年はそれでも笑みを崩さず、質問に答えていった。
「傷は、うん、無いみたいだ」
その答えを聞いて、アリスはほっと胸をなでおろした。しかし、どうしてこんな自分が安心するんだろうと不思議な疑問も浮かんだ。
「次は……僕は誰か、か」
この人は自分を僕、と呼ぶのかとアリスは思った。大人びた風貌に似合わないが、それが逆に可愛らしくも感じた。青年は暫く何も言葉を発さなかった。アリスも少々心配し始めたとき、青年の口から驚くべき言葉を聞いた。
「誰なんだろうねぇ、僕」
「は?」
一瞬、ふざけているのかと思った。青年がおどけた口調で言ったものだから、アリスは本当に冗談で言ったのかと思い、
「わ、私は真面目に訊いたのよ!? 貴方も真面目に―――」
「ごめん。本当にわからないんだ」
青年が、冥い声で言った。
「え……」
空気が変わる。アリスは怒気を失っていた。
「朝起きたら、この家の前で倒れる瞬間のことまでしか思い出せなくなってて……僕は一体誰なのか、どうしてこんなところで倒れていたのか、まったく思い出せなくって……」
青年は頭を抱えて床にひざまづいた。必死に思い出そうとしたが、青年からは本当に記憶の一部が抜け落ちてしまっていた。アリスは慌てて青年の側に駆け寄る。
「だ、大丈夫? まずは落ち着いた方がいいわ」
そういうアリスも声が多少上ずっていた。まさか出来心で助けた人間が記憶を失っているだなんて、思いもしなかった。少し躊躇ったが、アリスは思い切って青年の背中を撫でた。そうすうるちに青年はようやく落ち着きを取り戻した。それでもさっきまでのような快活さは影を潜めてしまっていた。
「ありがとう……初めて会ったのに、迷惑をかけてしまって」
「……しょうがないわよ、そんな大変な状況なら」
人間から魔法使いになったアリスは、人間の弱さを知っている。人間の脆さはそれこそガラス細工のような脆さだとアリスは思う。硬いように思わせて、一瞬で砕け散ってしまう、そんな脆さだと。
「僕はこれからどうすればいいんだろう」
青年が呟く。その青年の横顔をアリスはじっと見つめた。多少の迷いはあったが、アリスは自分にしては珍しいほどの速さで決断をした。
「うちで静養するといいわ」
「えっ……?」
今度は青年の顔が驚きの表情になる。アリスは青年に面と向かって、
「どうせ幻想郷のことも分からないでしょう。ならうちで記憶が戻るまで休みなさい、おいおい幻想郷のことは教えてあげるから」
自分はここまで情に脆かったのか、と驚くほどの提案。青年はしばし自分のした提案について考えるだろうと思った、が
「……ありがとう、よろしく」
殆ど即答に近い形でアリスに返事をし、笑顔を戻した。アリスはふと青年の笑顔を見て、また一気に顔が熱くなった。顔を背けながらアリスは言った。
「アリスよ」
「アリス?」
「そう、アリス・マーガトロイド、私の名前」
「そうか、アリスか……いい名前だね、よろしく、アリス」
顔を背けていたせいで上手く見えなかったけれど。
きっと青年は微笑んでいる、そうアリスは思った。
ドサッ
人形を作る手が、ぴた、と止まる。確かに今、外で何か音がした。それは風のざわめきや、獣の鳴き声といった自然なものではなく、不自然な音。不協和音。
別に無視しても良かった。普段ならば絶対に無視していた。だが、その時アリスは何を思ったか席を立ち、外に音の正体を確かめに行った。もしも世の中に運命が存在するならば、この時のアリスの行動はきっと運命だったのかもしれない。
「え……人間!?」
外に出たアリスは我が目を疑った。だって、音がした方に行くと、そこには人間が一人倒れていたのだから。男性で、髪は黒く、長身痩躯。服は見たことのない服を着ていた。和服には見えないが、自分らが着ている洋服より随分そっけない感じの服。見た目は決して高齢には見えず、香霖堂の店主と同じくらいに見えた。つまり、自分よりちょっと年上。顔は……とても、優しそうだった。
「ど、どうしよう」
正直アリスは困った。素性の知らない人間、いや、人間のフリをした妖怪かもしれないこの生き物をどうすればよいのか。まだ起きていれば話が出来る、しかし相手は意識を失っているのか眼を覚ます気配すらなかった。
アリスは迷った。しかしそれでも家の前で倒れている姿を見てそのまま放置しておくことも出来ず、結局青年を自分の家の中まで運んだ。アリスの部屋は一人で住むのには大きすぎるくらいで、ちょうど空き部屋が一つあった為、そこに青年を寝かせ、毛布を掛けてあげた。
部屋から出るときアリスはもう一度顔を見た。青年の顔は目を閉じていても分かる程の優しそうな顔だった。
「う、ううん……」
朝日が窓に入り込む。アリスは眠たげに眼をこすりながら起きた。少しの間ボーっとしていたが、昨日の夜の事を思い出すと真っ先に男を運び込んだ部屋に向かった。
「あ……」
青年は既に起きていた。窓から外を眺める姿に、アリスは一瞬声を失った。何故、そこまでなってしまったのかアリス自身は理解できなかった。背後に気配を感じて振り向いた青年は少し驚いた様子だったが、アリスに向かって微笑みながら言った。
「君が助けてくれたのかい?」
アリスは異性からこんな風に話し掛けられたことが無かった為、初めは口をパクパクさせることしか出来なかった。そのうちに落ち着きを取り戻すと、伏し目がちに答えた。
「え、えぇ、そうよ」
それを聞いた青年は屈託の無い笑みを浮かべて
「ありがとう、助かったよ」
とアリスに感謝の礼を言った。その笑顔がアリスの胸を高鳴らせ、体を熱くさせた。アリスは自分でもどうしてこんなに慌ててるのか分からず、
「と、とにかくどこか傷は無い? 大丈夫? というか、貴方は一体誰? どこから来たの?」
等など足早に質問をした。質問を受けた青年は、どれから答えていいか分からずに頭を掻いた。
「えぇと……どれから答えればいいのかな?」
大量の質問を投げかけたあと、アリスは己の失態に気づいた。顔が一気に赤くなる。青年はそれでも笑みを崩さず、質問に答えていった。
「傷は、うん、無いみたいだ」
その答えを聞いて、アリスはほっと胸をなでおろした。しかし、どうしてこんな自分が安心するんだろうと不思議な疑問も浮かんだ。
「次は……僕は誰か、か」
この人は自分を僕、と呼ぶのかとアリスは思った。大人びた風貌に似合わないが、それが逆に可愛らしくも感じた。青年は暫く何も言葉を発さなかった。アリスも少々心配し始めたとき、青年の口から驚くべき言葉を聞いた。
「誰なんだろうねぇ、僕」
「は?」
一瞬、ふざけているのかと思った。青年がおどけた口調で言ったものだから、アリスは本当に冗談で言ったのかと思い、
「わ、私は真面目に訊いたのよ!? 貴方も真面目に―――」
「ごめん。本当にわからないんだ」
青年が、冥い声で言った。
「え……」
空気が変わる。アリスは怒気を失っていた。
「朝起きたら、この家の前で倒れる瞬間のことまでしか思い出せなくなってて……僕は一体誰なのか、どうしてこんなところで倒れていたのか、まったく思い出せなくって……」
青年は頭を抱えて床にひざまづいた。必死に思い出そうとしたが、青年からは本当に記憶の一部が抜け落ちてしまっていた。アリスは慌てて青年の側に駆け寄る。
「だ、大丈夫? まずは落ち着いた方がいいわ」
そういうアリスも声が多少上ずっていた。まさか出来心で助けた人間が記憶を失っているだなんて、思いもしなかった。少し躊躇ったが、アリスは思い切って青年の背中を撫でた。そうすうるちに青年はようやく落ち着きを取り戻した。それでもさっきまでのような快活さは影を潜めてしまっていた。
「ありがとう……初めて会ったのに、迷惑をかけてしまって」
「……しょうがないわよ、そんな大変な状況なら」
人間から魔法使いになったアリスは、人間の弱さを知っている。人間の脆さはそれこそガラス細工のような脆さだとアリスは思う。硬いように思わせて、一瞬で砕け散ってしまう、そんな脆さだと。
「僕はこれからどうすればいいんだろう」
青年が呟く。その青年の横顔をアリスはじっと見つめた。多少の迷いはあったが、アリスは自分にしては珍しいほどの速さで決断をした。
「うちで静養するといいわ」
「えっ……?」
今度は青年の顔が驚きの表情になる。アリスは青年に面と向かって、
「どうせ幻想郷のことも分からないでしょう。ならうちで記憶が戻るまで休みなさい、おいおい幻想郷のことは教えてあげるから」
自分はここまで情に脆かったのか、と驚くほどの提案。青年はしばし自分のした提案について考えるだろうと思った、が
「……ありがとう、よろしく」
殆ど即答に近い形でアリスに返事をし、笑顔を戻した。アリスはふと青年の笑顔を見て、また一気に顔が熱くなった。顔を背けながらアリスは言った。
「アリスよ」
「アリス?」
「そう、アリス・マーガトロイド、私の名前」
「そうか、アリスか……いい名前だね、よろしく、アリス」
顔を背けていたせいで上手く見えなかったけれど。
きっと青年は微笑んでいる、そうアリスは思った。
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